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第19回 カペラゴーデンの名前の由来。

こんにちは、Ikuruです。テレビ放映直後は問い合わせが集中し、返事書きに追われました。それまでの一日あたりのウェブサイトへの訪問者数は平均100人くらいだったのですが、放送翌日はアクセス解析によると400人以上の訪問があったようです。二重カウントはしないようになっているので驚きました。もし、番組内でサイトのアドレスを紹介したらどうなっていたのか想像すると怖いものです。

 問い合わせが多かった内容からサイト上のカペラゴーデン関連コンテンツを更新しました。さらに2003年度のカペラゴーデンの本科とサマーコースの募集要項を入手しました。1月20日に、先生達の会議で決定したもので、カペラゴーデンのHP上でもまだ閲覧できないのですが、校長から許可をもらい、要約を掲載しました。興味のある方はぜひご覧になって下さい。と、このように内容を充実させたらメールがガクッと減ってちょっと寂しいです。メールをお待ちしております(笑)

 さて、今回はテレビ放映をご覧になって興味を持った方も多いと思いますのでカペラゴーデンの由来について書きたいと思います。

1956年。
1956年。右側が現在の木工科。

 カペラゴーデンの歴史は1957年、スウェーデンの家具デザイナー、カール・マルムステンがスウェーデン南東のエーランド島のビックルビー村にある古い農家を見つけたことから始まります。

 彼はここに10年かけてでも人間らしい世界、そして若い世代を育てる為の聖域を作りたいと思いました。本当の物作りということ、家や社会での人々の健康的な成長の基礎となりえる精神的、物質的なものを守ること、身につけることをここで学ぶの為にです。

 カペラゴーデンの名前は、マルムステン夫妻がイタリアを訪れた時に知り合った、ローマの聖ペテロ教会の指揮者から由来しています。イタリア語で彼の名前はCapo Capella。小さなオーケストラのことをスウェーデン語でKapellと言います。

 さらに由来にはいくつもの種類があるようで、例えばその一つは、マルムステンがペテロ教会は彼が買い取った農家と同じように作られたのではないかと考えたことです。中心となる建物があり、小さな建物、教会がその周りに建っていたからです。教会はスウェーデン語でKapellと言います。

 私達の学校はCapellagardenと言うつもりだ!とマルムステン夫妻がローマの小さなレストランで食事をした時に、マルムステンは相席になった人達と乾杯をしながら叫んだという話もあります。

 また違う話では、そのイタリア人の指揮者は北国の田舎に興味を持っていたことという話です。古い農家(マルムステンも大好き)を良く知る為にスウェーデンを訪れたこともあり、彼はそのような建物をイタリアに建てたかったそうです。

 どれが正解かは分かりませんが、カペラゴーデンは農家の家、2つの牛小屋、ワイン貯蔵庫そしていくつもの納屋から出来ています。それらの建物を学生が学び生活できる場所として改装し、1960年に最初のクラスがスタートしました。

 自然から、伝統から、そして日常に必要な物のデザインと私達の生活をより良く表現するための実験的な製作を通して、手(技術)と知(知識)、マスター(先生)と見習い(学生)、学校と地域社会との間で調和をとることがカペラゴーデンの目的です。

 現在では国や王室からの援助を受け、カペラゴーデンは存続しています。カール・マルムステンはこのようになるのには反対だったのですが、学校が生き残る為にはそうするしかなかったのです。政府機関は彼の意向を認め、現在でも自身の技術を磨く為の学校であり続けています。

 現在、カペラゴーデンのあるエーランド島の南側は世界遺産になっています。

追記:農家の事をスウェーデン語でgårdenゴーデンと言い、教会の聖堂をkapellと言います。チャペルのことですね。


 参考文献
Capellagårdarnas förbunds årsbok 1961-1962
Capellagårdarnas förbunds årsbok 1974-1975
Capellagården - om arvet efter Carl Malmsten

現在はプリントの教室。
旧陶芸科の建物。
現在。
現在の建物。上の写真を奥から。
改築時。
改装が始まる。
現在の建物。
上の写真では一階建てですが、現在はテキスタイルの教室と作業場が2階にあります。
庭から。
庭側から見た旧陶芸科の建物。
ほとんど同じまま。
現在でも建物自体はあまり変わっていません。
マルムステンと妻シーブ
カールマルムステンと妻シーブ
オフィス。
当時と変わらずカペラゴーデンの顔であるオフィス。
春が来たカペラゴーデン。
春のカペラゴーデン