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スウェーデン木工留学記

ストックホルム編

2004.06.02

第20回 ベルギーのある修道院

こんにちは、須藤 生です。このレポートが公開された直後の金曜日が現在製作中の作品の締切日なので、日曜日にも学校へ行って製作を進めています。作品はその週末から夏の間に開催される展示会へ出品されます。来月のレポートで報告したいと思います。では、今回は3週連続の最後のレポートです。ベルギー旅行の話です。

4月終わりに悲しい出来事がありました。ベルギーに住んでいる僕の大叔母(祖母の妹)が突然、他界したのです。調子が悪いらしいと聞いていて、翌週にでも会いに行こうと思っていた矢先の事でした。マルムステン校で訃報を知り、その日の作業はやめて家族を呼んで市内の公園へ桜を見に行く事にしました。ほぼ満開でした。


翌々日、葬儀に出席する為にベルギーへ行きました。初めてのライアンエアでの旅です。主要空港ではなく郊外の小さな空港を使いますが、値段の安さが魅力。一人16,000円ほどでストックホルム ─ ブリュッセル(ベルギーの首都)の往復が可能です。


ブリュッセル郊外の空港からバスに乗って中央駅まで来ました。ここから祖母のいるベルギー北の都市ブルージュまで電車で移動です。タリス(高速鉄道)も発着するターミナル駅で、巨大な駅です。とりあえずお腹が空いていたのでベルギーワッフルを買って食べたのですが、舌を火傷しました(笑)


ベルギーの主要都市を結ぶ鉄道。これは2階建てになっています。


僕たちが乗った車両は一階建てでしたが新しく綺麗な車両。通勤客も利用する為、混雑する時間と区間があります。


ブルージュには中世の佇まいが残っていて、狭い道が入り組んでいる街です。2年前から道路などの改装を行っているのですが、舗装をせず石畳(石自体は現代の物)を残しています。


路地を一本入った所は、まだ古い舗装のままになっています。そして、この建物に大叔母は住んでいました。建物の外見からは全く想像もつきませんが、ここはキリスト教カトリックの修道院で、大叔母はここにで40年弱も暮らしていたシスターでした。


玄関を入ってすぐの廊下です。外の道路に車が通る時以外は静けさが保たれています。ここは訪問客の為の建物で、正面の扉を抜けると聖堂(チャペル)に通じています。

カトリックの修道院は大きく2つに分ける事ができます。ボランティア活動など外部との積極的なコンタクトを持つ修道会と、神への祈りが活動の中心になる“観想会”と呼ばれる修道会があり、ここ(カルメル会)は後者にあたります。


現在はずっと開放的になっているそうですが、以前は修道会に入る事は世俗との断絶を意味していました。もちろん家族でさえです。この部屋に見える格子の向こう側にシスター達の住むエリアがあり、家族との面談はこの格子を通して行っていました。外界との境界で、抱き合うこと、握手をすることを阻む物でした。


宿泊客用の部屋。必要最小限の家具と卓上の聖書ぐらいの簡素な部屋です。

シスター方は料理をする者、畑で働く者、洗濯係のように様々な仕事を担当し、院内で共同生活をしています。工作をする為の部屋もあるそうです。しかし現在、彼女たちは皆、高齢になってしまい、自分たちで全てをまかなうということは難しいようですが、可能な限り続けていこうとしています。


現在は電話室になっていますが、元々は面談室だった部屋。やはり正面の格子を通してシスターと話す事が出来ました。物を渡す場合は、お互いが触れることが出来ない作りになっている荷物渡しを通さねばいけませんでした。イメージとしてはヨーロッパの銀行や、両替所の窓口でお金の受け渡しをするのと似ています。特に厳しい修道院だと、この格子に針が付いていることもあるそうです。


聖堂へ通じる部屋。小聖堂にもなっています。ここまで見ても分かるように、シスター方は神様への祈りと共に、神様との接点でもあるこの修道院内を美しく保つことにとても力を入れています。現代的に言えばシンプルの極みですが、清貧の美しさを感じます。


この修道会の性格が良く現れている聖堂です。15年ほど前に改装されているとはいえ、華美な装飾は全くありません。しかし音の響き、光ともにとても美しい場所です。


葬儀ミサで演奏出来るオルガニストを僕の父がなんとか見つけだし、急遽、来ていただきました。ブリュッセルにある大聖堂のオルガニスト夫人で、なんと日本の方でした。オルガンは僕の父が製作した物です。


葬儀ミサ。4人の神父様で式が行われました。お棺の向きは祭壇の方を向くように置きます。逆に神父の葬儀の場合は、参列者の方を向くように置くそうです。ミサの冒頭で“日本とスウェーデンからの家族を歓迎します”と、ドイツ語でのお言葉を頂きました。


式の最後、灌水式(かんすいしき)でシスター方、参列者が聖水(清められた水)をお棺にかけ、日本風にいうと最後の挨拶をします。実際は帰天(神の元へ行くこと)を祝う意味合いがあります。

修道院内には大叔母を含めて12人のシスターが暮らしていて、そのうち3人が日本出身の方です。約50年前、この修道院に入る為に日本のカルメル会から志願して来ています。大叔母は生前、日本へ帰る気は全くないと話していたそうです。


葬儀ミサの後、車で10分ほどの墓地へ。


葬儀屋さん、神父様に続いて親族の僕たちが後に続きます。


神父様のお祈りの後、一人ずつお棺に砂をかけました。土へ埋める前の儀式。


遺族、参列者はこれで帰路へ。本当の埋葬には立ち会わないのがベルギー式のようです。石碑には“使徒である修道女達の墓”と刻まれています。簡単な十字架に名前が刻まれただけの墓碑は、シスターとして一生を遂げた大叔母らしいと思います。


埋葬までついて来た赤ん坊は、シスター方の記憶では僕の息子が初めてだそうです。


修道院へ戻り昼食を頂いた後、修道院内にある庭を散歩しました。写真は庭の入り口の守護の天使。


修道院の外観からは想像もつかない美しい庭を、シスター達は維持管理しています。右側の木はソメイヨシノ(日本の桜)。奥に見える建物がシスター達が生活している場。禁域であり部外者(特に男性)は絶対に立ち入ることができません。神父でさえ入ることはできない場です。本来はこの庭も禁域なのですが、最近はずっと開放的になり見学が可能です。


ちょうど花たちが咲き乱れている素晴らしい時期でした。シスター達の生活は普通の方々から見るとこのような所があるのかと思えるぐらい質素ですが、様々な場で清貧な暮らしの美しさが垣間見えます。


カルメル会の男子修道院の教会の尖塔が見えています。道には付近の木工房で廃材として出た木材のチップが敷き詰められています。ヨーロッパではよく行われる手法ですが、砂利よりも良い感触で、最終的には土に還ります。


木の向こう側に、庭作業用の道具がしまってある倉庫が建っています。


庭の至る所にこのような像が静かに立っています。これはキリストと父ヨゼフと思われます。


庭内にいくつかある小屋や祠(ほこら)。一人で祈りたい時などに訪れる場所です。


窓際からは禁域の様子が見えてしまうので、建物側へ近づくのは遠慮しました。


やはり庭の入り口に立つキリスト像。今回は短い滞在でしたが、またぜひ訪れたいと思います。シスター方からも、家族、自分の家のつもりでいつでも来ると良いとおっしゃっていただきました。

亡くなった大叔母、そしてシスター方は常に祈りの中での生活をしていますが、そのような時でも僕や家族の事についても気に留めていてくれました。手紙などでは“あなた方の為にお祈りしています”という言葉が必ず添えられていました。亡くなる前に息子を見てもらうことはかないませんでしたが、感謝しています。


スウェーデンへの帰路は、またライアンエアで。この写真は離陸前で、実際はこの様には座らせていません(笑)。


ベルギーで会った後、父がストックホルムへやって来ました。これは父が宿泊したノルディック ホテル内にあるアイス バー。グラスまで氷。


今回のレポートは木工とはあまり関係がありませんでしたがいかがでしたか? なかなか興味深い所だったのではないでしょうか。次回はマルムステン校で行われた作品展なども紹介する予定です。ではまたー!

木工留学記

 カペラゴーデン編

メルマガで配信していた留学記です。主にカペラゴーデン留学中の1999-2003年頃の事柄を紹介しています。

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日本とは異なるスウェーデンの出産育児を絡めながら、2003年の長男誕生前後を紹介しています。

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 ストックホルム編

カペラゴーデンの終わり頃と、ストックホルムのマルムステンCTDでの事柄が中心です。2003年からJDN(ジャパン デザイン ネット)上で7年間、連載していましたので読み応えがあります。

本になりました!

スウェーデンで家具職人になる!
税込み価格1890円
須藤 生著 早川書房発行
ISBN 978-4-15-208925-0

当サイト上に掲載している内容などを新たにまとめ直し、さらには書き下ろし記事もたくさん追加しています。写真だけではなく、図面なども豊富に盛り込んでいます。興味深い内容になっていると思いますので、ぜひご覧ください!